自分史の書き方ヒントその1

関西編集舎の
制作サービス

プロの記者があなたを直接取材してあなたの「自分史」を代作します。ご両親の退職や、長寿の祝いの贈り物にも。
「自分史代作」サービス

企業やお店の特色をしっかりと把握し、わかりやすくアピールするホームページが1ページ9,800円からと格安。
「ホームページ制作」サービス

時間とコストがかかる関西への出張取材。そんな関西取材をアウトソーシングしませんか。
関西取材アウトソーシング

経験豊かな記者が企画から原稿執筆、校正まで担当。企業の節目を格調高くまとめます。
「年史編纂」サービス

使い慣れた言葉で書く

逆説的な言い方になりますが、いい文章を書こうと考えすぎないことが大切です。いい文章を書こうという気持ちが強すぎると、ついふだん使い慣れないよそゆきの言葉や言い回しを使ってしまいがちです。ところが使い慣れない言葉や言い回しは自分の意図を正しく伝えられなかったり、文章をぎこちなくしてしまったりすることがあります。


たとえば小説家らプロの文筆家の文章を読んでいて思わず「うまい表現だなあ」と感心することがあります。そうしたすぐれた表現に接すると自分でも使ってみたくなるものですが、プロの文筆家が書いた文章の一部分だけ取り出して他の文章に移し替えてみても、うまく根付かないことが少なくありません。表現は文章の全体構造の一部なので、それだけを自分の文章に取り入れてもなかなかしっくりとなじまないのです。

それに対し、ふだんから使い慣れている言葉や言い回しは、その扱い方が書き手の身についていますから、それらをうまくコントロールし、文脈の中にすっきりと自然な形で収めることができます。


以前、ふだん乗らない高級外国車を運転したことがあります。うまく車幅がつかめなかったり、バックの際に後方が見づらかったりとたいへん苦労しました。乗り慣れている自分の車であればこうした苦労をせず、手足のように使いこなせるのにと、少々くたびれた国産大衆車を恋しく思ったものです。

使い慣れない言葉や言い回しを無理に使うのはそれと似ています。背伸びした言葉や言い回しは避け、自分の“手足”のように使える表現で書きましょう。




じっくりと説明する

文章は書こうと思えば気軽に書くことができます。ですが、ここに大きな落とし穴があります。というのも、たとえ文章を書いたとしてもそれで伝えたいことがすべて読者に伝わるわけではありません。にもかかわらず、自分ではどの程度他人に伝わっているかが把握できないからです。

学生時代を思い出してみましょう。授業がわかりやすい教師と、わかりにくい教師がいなかったでしょうか。両者の差は教科に関する知識の差でしょうか。それも要因のひとつとなりえますが、それだけではありません。たとえ同じ程度の知識を持った教師が教えてもわかりやすかったり、わかりにくかったりすることはあるはずです。

むしろ知識量の差より、人に情報を伝える技術の差がわかりやすさを左右するのだと思います。自分は知識を持っている、あるいはそれを経験した、だからそれを他人に適切に伝えられるとは限らないということです。


文章表現でも事情は同じです。自分の経験は自分にとっては説明を要しない当たり前のことですが、それを他人に伝えるためにはそれなりの工夫が求められます。

そもそも自分には当たり前のことでも他人には何のことかさっぱりわからない、ということは少なくありません。自分がわかっていることは自分がわかっているだけで、他人はわかっていないのです。こんなこといちいち説明しなくてもわかっているだろうと思えることもじっくりと説明するくらいで、やっといくらか他人に伝わることも少なくありません。

そこで読者の先回りをする習慣を身につけましょう。もし自分がその仕事をしていなければ、あるいはもし自分がこの趣味を持っていなければ、と他人の立場で自分が書こうとする内容が理解できるかどうか考えてみるのです。そして、このあたりがわかりにくそうだなというところに目星をつけ、具体例をあげながらその部分をていねいに説明しましょう。そうすることで文章はずっとわかりやすくなります。


また、話し言葉と書き言葉が違うということも頭に置いておかなくてはなりません。ふだんわたしたちがだれかと会話をするときのことを思い出してください。話の聞き手はわたしたちが話す言葉から情報を得るだけでなく、話しているわたしたちの表情やしぐさ、声の調子などからも多くの情報を得て話を理解しています。言葉以外の情報も会話の重要な要素なのです。

ところが、挿し絵などがある場合を別にすると、文章には書かれた文字以外の情報はありません。文字だけで伝えなければならないのです。にもかかわらず、話しているのと同じ感覚で書いてしまうと読者にわかりにくさを感じさせてしまいます。わかりにくく感じている読者を置き去りにしたまま、どんどん先に進んでしまうと、途中で投げ出されてしまいかねません。そうならないためにもじっくり、丹念に説明することを心がけましょう。




他人を批判しない

昔を回想しているとそのときの感情もよみがえってくることがあります。特にぐっと抑え込んだ怒りの感情は、そのときに発散しなかったために時間が経っても生々しく思い出されるものです。しかも始末の悪いことに一度思い出せば怒りが怒りを呼んでしまいます。


「あのときあいつがあんなことしたからダメになった」「おれが忠告したのに無視しやがって」「なんでおれの業績がもっと評価されなかったんだ」


こんな具合に次から次です。そしてよみがえった怒りが原稿にも出てしまうことがあります。

しかし怒りは文章から客観性を奪うと同時に、読者からその作品への興味を削いでしまいかねません。たいてい怒りなどというものは自分のプライドが傷つけられたといった、他人にとってはごくつまらないものです。経緯を説明したところで読者にはわかりにくく、自分と同じ怒りを共有してもらえるとは限りません。ただ困惑を与えるだけ、へたをすると作者へのマイナスイメージとなって受け止められるおそれもあります。


自分史は自分の歩んできた道を自ら振り返ると同時に、自分の大切な人にそれを伝えるために書くものです。自分の正当化や他人の批判のために費やしてしまうのはもったいない話です。

むしろ腹立たしい記憶はユーモアに包んで自分の失敗談として紹介してはいかがでしょうか。他人の言動は淡々と事実のみ書き、自分の思惑がどのように外れて、そのため自分がどのようにドタバタと立ち回ることになったかということをユーモラスに描くのです。きっと読者もそうした自分史を歓迎するはずです。